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きっしょうてんにょ

吉祥天女

奈良時代からまつられる幸福の天女
「吉祥天女と、貧しい女王の宴」
幸福をもたらす女神の逸話

聖武天皇(しょうむてんのう)の時代、王たち二十三人が集まって順番に宴を開くことを決めました。そのなかに一人、貧しい女王がいて、とてもとても自分には宴を開く余裕がないと悩んでおりました。
「なんて私はあさはかだったのでしょう。今まで他の王たちの宴に出てきたなんて。こんどは私の番。どうか恥ずかしくないもてなしができますように。」と女王は、奈良の左京の服部堂に行って、吉祥天女(きっしょうてんにょ)に泣いてお願いしました。明日が宴という日になって、ふいに女王の乳母が故郷からやって来ました。何ということでしょう。乳母はたくさんの使いの者をともなって、抱えきれないほどの食べ物や飲み物、食器を用意してきたのです。宴の日、すっかり整った食卓は、器もみなピカピカに光る金属製のものばかり。そこに盛りつけられた色とりどりのものめずらしい海の幸、山の幸。おいしそうな飲み物に果物。宴に招かれた王たちは、宴に酔いしれ、みな口々にこのもてなしをほめたたえました。そして、女王が手にしたこともない高価な衣裳や絹や綿、銭などを贈り物として置いて帰りました。女王は乳母に厚くお礼をいい、王たちがくれた美しい衣裳を乳母に着せて帰らせました。そして、自分はさっそく奈良町服部堂(ならまちはっとりどう)の吉祥天女のところにお礼参りに行きました。
「ありがとうございました。おかげで王たちに喜んでもらえる宴を開くことができました。」そういって顔をあげた女王は本当に驚いてしまいました。そこには乳母に着せて帰ったはずの衣裳を身にまとった吉祥天女が立っておられたのです。
服部堂の吉祥天女
『日本霊異記(にほんれいいき)』第十四巻「貧しき女王」の中に奈良の左京の服部堂にまつられていた福徳の女神、吉祥天女のことが記されています。この服部堂とは、かつて西新屋町にあり消失してしまった元興寺の吉祥堂のことで、現在奈良町資料館(ならまちしりょうかん)内に再建され、新たに平成の吉祥天女像をまつっています。

吉祥宝珠

幸福をもたらす宝珠
吉祥天女の幸福をもたらす宝珠
ならまち「吉祥宝珠」

吉祥天女(きっしょうてんにょ)の、左手に如意宝珠を載せたその姿は、富と豊穣をもたらす美の女神として長い間信仰されてきました。
如意宝珠とは、すべての物事を思いとおりに叶えてくれると言う珠のこと。

索引

聖武天皇(しょうむてんのう)

日本(奈良時代)の第45代天皇 [宝元年(701年)-天平勝宝8年(756年)]
奈良時代の中頃、深く仏教を信仰し全国に国分寺・国分尼寺を建立(こんりゅう)し、奈良の大仏を完成させた天皇。

奈良町服部堂(ならまちはっとりどう)

宝徳三年(1451)までに吉祥天女を祭っていた諾楽(なら)の左京の服部堂。
宝徳三年(1451)の土一撲で焼失。

日本霊異記(にほんれいいき)

日本最古とされる説話集で正式名は『日本国現報善悪霊異記』
著者は奈良右京の薬師寺の僧の景戒。九世紀初め弘仁年間(810-24)の成立。

元興寺(がんごうじ)

奈良市にある南都七大寺の1つ。もとは蘇我馬子が飛鳥に建立した日本最古の本格的仏教寺院である法興寺で、その後平城京遷都に伴って飛鳥から新都へ移転し、元興寺となる。